2003年 2月 9日
| 航空機墜落事故
| よる |
| 今日の特命リサーチ見ましたか。 今日のお題は航空機事故史上、奇跡の連続だった有名なユナイテッド航空232便です。
3〜4年前のドキュメンタリーも見たんですが、 その後、墜落事故のボイスレコーダ記録を集めた本、 「墜落!の瞬間」(M・マクファーソン著ヴィレッジブックス刊)を読んで詳細を知りました。
特命リサーチのドラマはだいぶ端折られてましたが、 ボイスレコーダ記録本には書いてない事実もいくつかありました。 例えば、偶然乗り合わせたDC10の訓練教官デニー・フィッチが、 日頃から緊急事態に備えた訓練をしており、油圧系統全滅時にスロットル操作だけで 機体をコントロールするシミュレーションを、たまたまやった経験があったこと。 これには驚きました。
その5年前に起こった、日航機123便墜落による520名死亡の大惨事も、 油圧系統の全滅による操縦不能でしたが、 それを知ったフィッチは「自分ならこのときどうするか」を考えていたというのです。
それからタッチダウンの寸前、突風により機体が左に傾いた為、不時着に失敗したことも本には書いてませんでした。 この突風さえなければ不時着でき、112名も死亡者が出なかったかも知れない。 もちろん、ドラマには明確に説明がなかった点もあります。 例えば、タッチダウン地点がなんと、ちゃんと滑走路の入り口であったこと。 操縦系統全滅でスロットル操作しか出来ない機体なのに、空港までたどり着いたどころか、 滑走路の入り口にまっすぐ進入できたのです。 近くにはだだっ広いトウモロコシ畑があって、そっちのほうが滑走路より広いし、 実際機体もそこに突っ込んだのですが、とにかく接地点は滑走路でなければならなかった理由があります。 それは、着陸装置を下ろしてしまったため、地面が硬いところに降りないと、 余計に危険な状態になるからです。 そもそも着陸装置を下ろした理由は、少しでも空気抵抗になって速度が落とせると考えたからですが、 油圧系が動かないので、いったん下ろしたらもう上げられない状態でした。
日本人乗客だった女性(名前忘れた)が、生還後、客室乗務員になったというのも初耳です。 稀有の大事故に遭遇して、そうそう出来るワザではありません。 う〜む、感動のお話ですね。 |
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